気分が落ち込み、不安で眠れない日、ありますよね。
私もその時がありました。
私の場合は、うつ病だった時です。
朝に起きることができず、昼間に起き、また夜中まで起きているのです。
それで夜中は悪いことを考えてしまったり、どうしようもない不安に駆られる日々でした。
その時の自分は人と会うことが怖く、電車の音、電話の音、全てが自分を責めているように聞こえていました。
私はそのとき、病院で睡眠導入剤をもらっていました。
寝なければいけないと思っていたのです。
だけど、やっぱり薬に頼るのは嫌だったのでどうにかしようとしていました。
そんな時、一冊の本に出会いました。
「普通がいいという病」という、精神外科医の泉谷閑示さんという方が書いている本でした。
そこにはこんなことが書かれていました。
・ 寝るというのは一度死ぬということ。寝られないということは、その日を十分に生きられなかったということ。
その時の私には衝撃的な言葉でした。
死ぬためには一生懸命生きることが必要なの?
そして、私は生きられていなかったの?と、不思議で、でも納得させられたような感覚になりました。
私はなんとなくわかったのです。
日中寝てばかりいて、生産性のあることをしていないことを、「生きていない」と言われているのではないということを。
その本には、生きるとは、自分の好きなことをするということだと書かれていました。
好きなこととは、何も、スポーツをしたり、絵を描いたり、音楽を聴いたりなど、趣味を楽しんだりするだけではありません。
小さい選択や考えなど、自分のしたい方、考えに従ってあげるということです。
そういう意味で、私はその時に好きなことなどしていなかったのです。
日中寝ていたり、テレビを見ていたりする自分を許可してあげることもせず、ただただ自分を責めていたのです。
寝るにしても、テレビを見るにしてもその時の自分をきちんと許し、認めてあげられたら、もっと安心して寝ることもできたし、罪悪感を感じずにテレビを見ることもできたはずなのです。
そうすれば、それも「好きなことをしている」ということになるはずだと考えました。
心ではAが良いと感じているのに、頭ではBがいいはずだとBを選んでしまう。
ここできちんと心の通りにAを選んであげることが「自分自身を生きる」ということなのだと私は理解しました。
だから私は、頭での考えよりも、心の声をきちんと聞いてあげて、
日中ゆっくり過ごすことを許可してあげたのです。
そう認めてあげることで、毎日「好きなこと」ができ、人生を一生懸命生きていると心と体が感じることができるのです。
そうやって一日一日一生懸命「生きる」ことが、ぐっすり眠れることに繋がるのです。
そして、不安定な気持ちは生きている証拠です。
生きているからこそ、辛いこと、苦しいこと、楽しいこと、嬉しいことを感じられるのです。
落ち込んだり、不安を感じることができるのは、「幸せ」を知っているからです。
幸せな気持ちを知っているからこそ、その気持ちと比較し、「苦しい」「悲しい」を感じたくなくて、その気持ちを排除しようとしてしまう。
でも、その感じたくない気持ちがあるからこそ、その「嬉しい」「楽しい」を存分に味わうことができるのです。
毎日が嬉しくて楽しいものだとしたら、人はその毎日を、きっと幸せだとは感じないはずです。
私の大好きなMr.childrenの歌詞にもこうあります。
『HERO』
人生をフルコースで味わうための
幾つものスパイスが誰もに用意されていて
時には苦かったり
渋く思うこともあるだろう
そして最後のデザートを笑って食べる
君の側に僕はいたい
全て甘いだけの人生を、幸せだといえるだろうか。
辛い、その渦中に居るときは苦しいかもしれない。
生きる希望を失うかもしれない。
だけれども、その苦しい気持ちは必ずあなたの幸せをより深く感じさせてくれるための
大切な感情なのです。
全てがあって、「幸せ」が創られているのです。
だから、落ち込み、眠れない日こそ
そんな日でさえも「幸せ」の一部なのだと安心していいのです。