コラム⑦ 『エイコサノイドと薬』
前回は、代表的な生理活性物質であるエイコサノイドについて書きました。オメガ3のエイコサペンタエン酸(EPA)から作られるエイコサノイドとオメガ6のアラキドン酸から作られるエイコサノイドは真 逆の働きをしながら、私たちの身体の状態を一定に保つという役割を持っています。これはとても大事な働きですが、逆に言うと、一旦この量的バランスが崩れると、恒常性が失われ心身のあちらこちらに不調を来たす原因にもなるのです。
そして実際に、現代人はこのバランスを崩している人が多いです。近年増加しているアレルギーや癌、心筋梗塞など多くの疾患に慢性炎症が関わっており、その慢性炎症の原因が、まさにエイコサノイドのバランスの乱れと言われています。
ここで炎症について少しお伝えしましょう。炎症というとマイナスイメージがあるかもしれませんが、悪いことばかりではありません。むしろ、炎症というのは異物から自分の体を守る仕組みであり、生命を維持するために必要な働きなのです。例えば外からウイルスが入ってきた時、炎症を起こして戦います。風邪をひいた時に喉が腫れたり関節が痛くなるのも、そこで炎症を起こして戦っている証拠です。
そして通常は敵をやっつけたら炎症は治まります。このように炎症を起こすこと自体は大切な生体防御反応です。
ただ、小さな敵に対して過剰な炎症を起こしてしまったり、戦いが終わったのに炎症を収束出来ずに続いてしまったりすると、自分自身の体を攻撃するようになってしまいます。
つまり炎症は、それ自体は必要だけれど、過度または継続する慢性炎症は病気の原因になるということです。
この『炎症』を抑える薬で一番知られているのがステロイド剤です。みなさんも耳にしたことがあると思いますし、使ったことのある方も多いでしょう。そしてもう一つ有名な薬が非ステロイド性抗炎症薬 (NSAIDs)。これはステロイド以外で、抗炎症、鎮痛、解熱作用を持つ薬剤の総称です。非ステロイド性抗炎症薬と聞いてもピンとこないと思いますが、薬の名前で言うと、バファリンやエスタックイブ、ロキソニン、アスピリン、インドメタシンなどで、こちらは馴染みのある方も多いと思います。
実はこのステロイド剤も非ステロイド性抗炎症薬も、実はアラキドン酸から作られるエイコサノイドの一種であるプロスタグランジンの生成を阻害することで炎症を抑えているのです。
プロスタグランジンは体内でどのように作られるかと言うと、細胞膜に配置された脂肪酸が酵素によっ て変換されて作られます。
前回もお伝えしたように、エイコサノイドの元となるのは必須脂肪酸であるオメガ6のアラキドン酸とジホモ-Γ-リノレン酸、オメガ3のEPAという3種類の脂肪酸です。
細胞膜の側で、まずホスホリパーゼという酵素によってこれらの脂肪酸が切り離されます。そして続いて別の酵素であるシクロオキシゲナーゼ(COX)によって、プロスタグランジンに変換されます。
ではこのプロスタグランジンに対して、ステロイド剤や非ステロイド性抗炎症薬はどのように働いて炎症を抑えているのでしょうか?
まず、ステロイド剤から見ていきましょう。ステロイド剤の作用機序は少し複雑なので、割愛して書きますが、ステロイド剤はプロスタグランジンの元となる脂肪酸を細胞膜から切り離す酵素ホスホリパーゼの働きを抑えます。アラキドン酸からは炎症を起こすプロスタグランジンが作られますが、その第一段階は細胞膜からアラキドン酸が切り離せれて遊離することです。つまりステロイド剤で酵素の働きを抑えれば、アラキドン酸は細胞膜に収まったままなので、炎症性のプロスタグランジンは作られません。
ただ問題なのは、ステロイド剤でホスホリパーゼの働きを抑えてしまうと、他のエイコサノイドの生成も出来なくなってしまうことです。エイコサノイドは恒常性を維持するためのとても重要な物質でもあるので、その生成が全て抑えられてしまうと、体のあちこちに副作用が起こります。
そこで開発されたのが非ステロイド性抗炎症薬です。こちらはどこに作用しているかと言うと、エイコサノイド生成の次の段階です。細胞膜からエイコサノイドの元となる脂肪酸が切り離されても、脂肪酸のままの形では生理活性を持ちません。切り離された脂肪酸にシクロオキシゲナーゼという酵素が働い て、プロスタグランジンなどが作られるのです。非ステロイド性抗炎症役は、このシクロオキシゲナーゼの働きを阻害することでプロスタグランジンの生成を抑え、炎症を抑えているのです。
このタイプの薬が開発された当初は、ステロイド剤と同様、オメガ3のEPA由来のエイコサノイドも抑えてしまうことで副作用の問題がありましたが、近年ではアラキドン酸に特異的に働く薬も開発されています。アラキドン酸からのプロスタグランジンの生成を選択的に抑えることで、副作用が少なくなり ます。
このように、脂質と薬剤というのはとても深い関係にあります。今回お話しした以外にも、抗アレルギー薬を始め多くの薬がアラキドン酸から作られる生理活性物質を抑えることで作用しているのです。
普段何気なく使っている薬が、実は体の中で脂質由来の炎症物質に働いて効果を発揮しているということ、そのメカニズムを知ると、なぜ脂質はバランス良く摂ることが重要かをご理解いただけると思います。
基本に戻りますが、EPAもアラキドン酸も必須脂肪酸あり、食事で摂ったオメガ3:オメガ6バランスがそのまま体に現れます。
薬を使ってアラキドン酸由来の炎症物質を抑える代わりに、食事で摂る脂肪酸のバランスを整える。これはとてもとても有効であり、とても自然な方法です。